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Monday, December 21, 2020

「相馬が泣き崩れた。それが申し訳なくて…」箱根駅伝を失った直後、筑波大生たちが泣きながら考えたこと(小堀隆司) - Number Web - ナンバー

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前回の箱根駅伝に26年ぶりの出場を果たした筑波大学は、2年連続の出場を目指して挑んだ今年10月の予選会で18秒差で敗れた。国立大学という大きな“ハンデ”を背負いながら数多の強豪校と互角に戦った彼らは今、何を思っているのだろうか。(全2回の2回目/前編はこちら

 運命の10月17日、天候は雨。予選会会場の立川には冷たい風が吹いていた。

 スタートしてすぐ、筑波大はエース格の選手と中間層の選手で設定タイムを分け、3つほどの小さな塊となって立川駐屯地の周回コースを駆けた。

 素晴らしい走りを見せたのは、猿橋と西の2人だ。日本人選手による先頭争いに食らいつき、終盤になってもペースは落ちない。ラスト数メートル、スーパールーキーとして注目を集める順大の三浦龍司にはわずかに後れをとったが、猿橋は日本人2位(ハーフ1時間1分43秒)、留学生を合わせても個人6位に入る堂々たる走りを見せた。西もまた、猿橋に3秒遅れただけの個人9位。上位10名に複数の選手が入ったのは筑波大だけである。

最後まで相馬に命運を背負わせたことが悔しくて

 だが、大きなアドバンテージを得ながらも、筑波大の順位は思うように上がってこなかった。15km地点で上位10名の合計タイムは13位、18kmでもまだ13位のまま。だが、個人143位(チームでは5番目)でゴールした大土手は、仲間が終盤に差し掛かってペースを上げてくると信じていた。

 結果発表。9位、拓殖大学。10位……。

 祈らずにはいられなかった。「来い! 次こそオレたちの番だろ」と。

 その想いが届かず、11位と聞いた時、大土手は手で顔を覆って泣いた。こんなことを考えていた。

「隣に相馬がいたんですけど、彼が泣き崩れたのを見て、本当に申し訳ないことをしたなって。結果的に(チーム12位の)相馬は自分のせいで行けなかったと思ったみたいですけど、誰もそんなことは思っていません。むしろ、最後まで相馬にチームの命運を背負わせてしまった。そのことが悔しくて、気づいたら泣いてました」

 【次ページ】 皆の涙を見ても、泣くことができなかった

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