■力強いじゃがいも本来の味 舌は敏感なほうだと思う。数少ない自慢話なのだが、以前、某有名メーカーのポテトチップス「うすしお味」を食べたとき、「あれ?」と思ったことがあった。旨味調味料の味がしない……。 パッケージ裏面の原材料名を確認すると、鰹エキス、昆布エキスといった表記はあったが、旨味調味料を表す「調味料(アミノ酸等)」はなかった。やっぱり、とほくそ笑んだ。 そのあとしばらくたって、同じ商品を食べたとき、再び「あれ?」と思った。まさか……。 パッケージ裏面を見ると、以前はなかった「調味料(アミノ酸等)」の表記があった。やっぱり……。コストに見合わず、方針を変えたのだろうか。 ともあれ、いずれも無意識に食べて気づいたのだから、なかなかのものだろう。自分でいうのもなんだけど。 人に自慢できる話が人生の中でこれぐらいしかない、というのが問題だが、それはさておき、ポテチといえばモロッコである。 自転車でヨーロッパをまわり、スペインから船でモロッコに渡ると、世界がガラリと変わった。トイレのにおいが濃くなり、建物はひび割れ、野菜は地面に積んで売られていた。人々はいかにもアラブらしいワンピースの民族衣装を着ている。都市部の新市街はともかく、旧市街や田舎は半世紀ぐらい時代をさかのぼったような世界だった。 ときおりイスラム建築の塔から詩吟のような肉声が大音量で流れてくる。 「アッラーイラッハー……」 礼拝をよびかけるアザーンだ。異国情緒が一気にあふれ、「遠くまで来たな」としみじみ思う。 迷路のような旧市街をさまよっていると、職人の街に出た。トタン屋根の小屋が密集していて、あちこちで様々な音が響いている。皮をなめす人、自転車のペダルをこいで円盤の石を回し、包丁を研ぐ人、鉄板に唐草模様を掘る人、いろんな職人がいる。食器ひとつから手づくりだ。鉄板を丸い凹みのある木の型にのせ、金槌で叩いて皿にする。同様の方法でランプもつくっている。みんな服が黒く汚れていた。 鍛冶屋の前で足が止まった。腕っぷしの強そうな中年の男が、そばで見ている僕に目もくれず、溶岩のように赤く光る鉄片に向かい、機械のように一定のリズムで金槌を打ち続けている。無駄のない、美しい動きだった。いかにもシンプルで、見ていて飽きのこない美しさだった。吸い込まれるようにその動きを見つめていると、様々なイメージが頭に浮かんだ。 男は何年も何年もここで鉄を打ち続けてきたに違いない。これからもそうだろう。ミロの絵を見ることもないし、本場のフラメンコに触れることもない(スペインのあとだったのでそんなことを思った)。海を見ることさえないかもしれない。だが、彼は一本の太い道にしっかり足をつけて歩いてきた。一方の僕は、旅でいろんなものを見て、たくさんの経験をしてきた。そこから自分は何を築いてきただろう……。 どういうわけか、この鍛冶職人の歩みには到底かなわない気がした。毫も揺るがぬ力強い音が、金槌から響いていた。 中央の広場に戻ると、夕空の下にたくさんの灯りがともり、屋台が増えていた。祭りのように見えるが、毎日繰り広げられている光景だ。 店を冷かして歩いていると、ポテトチップスの屋台があった。その場で揚げられている。 買って食べてみると、少し時間がたっていたのか、熱々ではなかったが、パリッとした歯触りが小気味よく、実に香ばしい。ただ、それだけだ。味つけは塩だけ、と非常にシンプルで、なんとも物足りない。この素朴な味わいも半世紀前っぽいな、と思いつつ食べていると、控えめな旨味が徐々に立ち上がってきた。くっきりと、じゃがいもの味だった。土の味だ。なんだか頼もしいものを感じた。旨いよ。最初、物足りないと感じたのは、シーズニングまみれの日本のポテチに舌が慣らされていたからか。 それ以降、なくなれば買ってバッグに常備するようになった。味もさることながら、サイクリング中は大量に汗をかくため、塩分補給にちょうどいいのだ。モロッコでは屋台だけでなく、商店でも手づくりポテチが袋に入って売られていた。 帰国後、某有名メーカーの旨味調味料不使用のポテチを食べ、「あれ?」とすぐに反応したのは、モロッコでさんざん塩だけのポテチを食べ、その味が好きになっていたからかもしれない。某社のそのポテチもやはり、すっきりしてとてもおいしく感じられたのだ。 ただ、あの「すっきり」が日本人にはどう受け取られたか。 某社が旨味調味料の使用を再開したのはコストのせいだと思いたいけれど……売り上げが落ちたからじゃないよね? 文:石田ゆうすけ 写真:牧田健太郎(ポテトチップス)
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