歌謡曲「あずさ2号」は、男性デュオ「狩人」のデビュー曲だ。1977年3月25日発売。デビュー曲であり大ヒット曲であった。50代以上のかたなら誰もがご存じだろう。現在も「懐かしのヒット歌謡曲」などテレビ番組企画で登場するから、若い人、とくに鉄道や旅に敏感な人は聞いたことがあるかもしれない。
しかし、現在、新宿駅を8時ちょうどに出発する特急は「あずさ2号」ではない。それどころか、「あずさ2号」という列車自体が存在しないことをご存じだろうか。
朝の特急ホームは比較的落ち着いている
特急「あずさ2号」は歌のサビで登場する。歌の解釈はいろいろあると思うけれども、私には「女性から元カレへの別れの手紙」だと感じられた。煮え切らない元カレと別れる決心をして、新しい恋人と信濃路へ旅立つ。
手紙を部屋に残したか、あるいは心の中に留めたか。書き置きならば、行先を書き、愛しているなら追いかけてほしいと望んだ。心の中に留めるならば、それは思いを断ち切りたいという決心の心情だ。どちらにしてもせつない。共感した女性は多かっただろうし、男性側も新カレと元カレの心情を思い、あるいは、女性の揺れる心に惹かれたかもしれない。
作詞家の竜真知子は、キャンディーズの「ハートのエースが出てこない」、河合奈保子の「スマイル・フォー・ミー」などを手がけたヒットメーカー。アニメ『機動戦士Ζガンダム』のエンディング曲「星空のBELIEVE」も彼女の作品だ。
彼女がなにをモチーフに「あずさ2号」を書いたかは判らない。しかし、彼女が活躍した時代はとくに、駅は出会いと別れ、旅立ちの風景が似合う場所だ。昭和歌謡には駅や列車が登場する作品が多い。新宿駅の雑踏の中で、朝の特急ホームは比較的落ち着いている。そこをステージに見立てれば、旅立つ人の数だけドラマがある。
「春まだ浅い信濃路」というフレーズがいい。信州の冬はウィンタースポーツ、夏は避暑や登山、秋は蕎麦や果物と楽しさに溢れている。「春まだ浅い」は観光要素の少ない時期。「心の旅」の季節感だ。
今はもう走らない「あずさ2号」
JRグループは3月に大規模なダイヤ改正を実施する。月刊時刻表は2月にダイヤ改正号が発売され、1年でもっとも売れる月だ。しかし、ダイヤ改正号に「あずさ2号」はなかった。
「あずさ」は新宿と松本を結ぶ特急列車だ。一部は千葉駅または東京駅を発着し、松本から先、大糸線に乗り入れて南小谷駅を発着する。中央本線のエースである。
最新の時刻表に掲載された「新宿駅8時ちょうどのあずさ」は「5号」である。「2号」は見当たらない。
「5号」より先に発車するあずさは「3号」で、2号が飛んでいる。実はいま、列車の号数は「下りが奇数」、「上りが偶数」になっている。そこで上り列車を探してみると、やっぱり存在しなかった。松本発「あずさ4号」が始発列車になっている。それより早い時間は竜王駅6時58分の「かいじ2号」。
特急「かいじ」は、主に新宿と甲府を結ぶ列車だ。由来は甲斐路。「あずさ」が混雑していた区間を補完する役割を持つ。すべて「あずさ」だった頃は、新宿~甲府間が混雑し、甲府~松本間を通しで乗る客が指定席を取りにくかった。そこで新宿~甲府間の「かいじ」を設定して、近距離客と長距離客を分離した。その「かいじ」には「4号」がない。
なるほど、「あずさ」と「かいじ」で号数を通し番号にしているのだ。これは「あずさ2号」と「かいじ2号」を走らせると、「2号」だけを覚えていた客にとって、乗り間違えやすいからだろう。
そう、乗り間違い防止。これが「新宿発8時ちょうどのあずさ2号」が消えた理由だ。「列車名+号数」は、乗り間違いを防ぐための施策。列車名は「人々に親しんでもらうための愛称」だけではない。号数は「愛称」が多すぎるとかえって困るから設定された。
かつて、特急列車は4本しかなかった
日本の列車愛称は1929年に始まる。東京~下関間を結んだ特急列車に「富士」「櫻」が与えられた。どちらも1日に上下1本ずつ。翌1930年に東京~神戸間で「燕」、1937年に同区間で「かもめ(実際は漢字)」が追加された。同じ区間で2つの名前がある。当時の特急列車は本当に「特別」な存在で、この4本しかなかった。名前を変えれば乗り間違いを防げた。
このあと、特急列車の愛称は基本的に「1往復1愛称」が基本となった。戦後の復興、経済成長に呼応するように、特急・急行列車が増えていく。「1往復1愛称」は、指定席の売り間違いを防ぐためにも都合が良かった。しかし、このままではいつか愛称の候補も尽きるだろう。
1957年、ひとつのアイデアが生まれた。東京~名古屋間の準急「東海」を2往復増発して3往復にするとき、新たな愛称をつけず、列車名を「東海1号」「東海2号」「東海3号」とした。上り列車も「東海1号」「東海2号」「東海3号」だ。「1往復1愛称」から「3往復1愛称」だ。しかし実際は「下り東海1号」「上り東海2号」と方向を付けて呼んだから、「1列車1列車名」になり、指定席券の区別はできた。これが現在の列車名「愛称+数字+号」の元祖だ。
座席予約システム「マルス」の導入が転機に
1958年には別のアイデアが採用された。東海道本線で初めて電車特急「こだま」が誕生した。東京~大阪間、東京~大阪~神戸間それぞれ1往復、合わせて2往復が設定された。この時は「第1こだま」「第2こだま」となった。その後、「愛称+数字+号」「第+数字+愛称」は両立した形で列車愛称が増えた。同じ区間の列車は同じ愛称で、大同小異でも数字部分で特定できる。
1960年、列車名に転機が訪れる。オンライン座席予約システム「マルス」の導入だ。当初、マルスで扱う列車は「第1こだま」「第2こだま」「第1つばめ」「第2つばめ」の4列車8本のみ対応した。しかし国鉄は将来、全列車のマルス対応をめざした。とくに東海道新幹線が開業すれば、1日に数十本、それぞれ12両、全車指定席だ。当時のコンピューターは性能が低く、記憶容量が足りない。列車名を増やしてほしくない。
1964年に、東海道新幹線が開業すると、愛称は通過タイプの「ひかり」、各駅停車タイプの「こだま」の2本立て。どちらも1時間に1本が設定された。1日の列車の数は、上下合わせて60本。そこで各列車は呼びやすい「列車名+数字+号」を採用した。マルスに「第1ひかり」「第2ひかり」……と列車名を設定すれば、データペースに60個も「ひかり」を記憶させる必要がある。しかし「列車名+数字+号」方式であれば、列車名のデータはひとつだけ。あとは変数の号数を組み合わせるだけで列車を特定できる。
さらに、発車順に下り列車は奇数、上り列車は偶数とした。この方法なら同じ列車名はないし、いちいち「下り」「上り」を付加しなくても認識できる。
「あずさ2号」の誕生と廃止
特急「あずさ」の誕生は1966年だ。列車の名前は上高地を流れる梓川から。「あずさ」は、1960年に臨時夜行列車に採用された列車名でもあった。特急「あずさ」は新宿~松本間2往復で、列車名は「第1あずさ」「第2あずさ」となった。上り列車も同じ「第1あずさ」「第2あずさ」だ。「こだま」と同じ規則で、在来線特急はしばらくこの方式が続く。
この頃、列車名は「愛称+数字+号」「第+数字+愛称」「愛称のみ」が混在しており、特急・急行・準急の増発によって列車名は増え続けた。列車愛称は359もあった。
1968年、国鉄は大規模なダイヤ改正を実施した。昭和43年10月にちなんで「ヨン・サン・トオ」と呼ばれた。この機会に国鉄はすべての列車を「マルス」に対応させるため、列車愛称の大改革を行う。同一路線、区間の列車愛称はなるべく一本化する。定期列車と臨時列車の愛称も区別せず同一とする。そして従来の「愛称+数字+号」「第+数字+愛称」は、すべて「愛称+数字+号」とした。ただし、新幹線のような「下り奇数・上り偶数」は採用されていない。
こうして「第2あずさ」は「あずさ2号」となり、新宿発と松本発が存在した。狩人の「あずさ2号」は1977年3月の発表だから、「あずさ2号」が走り始めて約10年。すっかり定着した列車名だった。
「あずさ2号」は歌われてから1年半しか走っていない
ところが新宿発の「あずさ2号」は意外と短命だった。1978年の国鉄大規模ダイヤ改正、昭和53年にちなんだ「ゴー・サン・トオ」で、在来線も新幹線と同じ「下り奇数」「上り偶数」となった。「あずさ2号」は新宿発8時ちょうどから松本発7時35分になった。新宿8時ちょうどは「あずさ3号」になった。歌はロングランヒットとなったけれども、特急「あずさ2号」は歌われてから1年半しか走っていない。
1988年、「あずさ」のうち新宿~甲府間の短距離列車は「かいじ」として独立した。当初の列車名は、「かいじ+300番台の数字+号」だった。これは乗り間違いを防ぐため。「かいじ1号」と「あずさ1号」になると「1号」だけの印象が強くなる。混同しないように、という配慮だった。実は新幹線の列車名もこの方式で「ひかり」は500番台以降、「こだま」は700番台以降になっている。
2019年のダイヤ改正で、「あずさ」と「かいじ」の号数は通し番号に整理された。利用者にわかりやすくするためだ。号数は新宿発着時刻の早い順に付けられたから、「2号」は「かいじ」の担当になり「あずさ2号」は消滅した。今後のダイヤ改正でまた「あずさ」と「かいじ」の順序が変われば、「あずさ2号」は復活するかもしれない。しかし新宿発は絶対にない。
最新の時刻表で、新宿発8時ちょうどは「あずさ5号」だ。「あずささんごう」より「あずさごごう」の方が語呂が良いから、狩人さんに「あずさ5号」としてセルフカバーしてほしいな、と思う。元カレへの思いを断ち切って、新カレと未来へ旅立つ。そんな女性はきっと今もいるだろうし。
写真=杉山淳一
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