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Tuesday, December 8, 2020

ラグビー元日本代表・五郎丸が今季限りで引退 15年W杯3勝立役者 五郎丸ポーズは全国的ブームに - スポニチアネックス Sponichi Annex

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元ラグビー日本代表のヤマハ発動機・五郎丸歩
Photo By スポニチ

 ラグビーの15年W杯日本代表で、同大会で南アフリカを破るなど歴史的3勝に貢献したFB五郎丸歩(34=ヤマハ発動機)が、21年シーズン限りで現役を引退すると9日、所属のヤマハ発動機を通じて発表した。トップリーグ(TL)の新シーズンは来年1月16日に開幕し、5月末まで行われる。16日会見を開き、自らの口で引退を決めた経緯などを説明する予定。

 日本ラグビー界に一時代を築いた背番号15が、ジャージーを脱ぐ決断をした。五郎丸はすでに、近しい関係者に引退を報告。15年W杯を通じて日本国内におけるラグビーのステイタスを飛躍的に高めた立役者は、昨年のW杯日本大会で次世代のラグビー界の引っ張るスター選手が台頭したこと、セカンドキャリアへの移行などを勘案し、大きな決断を下したもようだ。

 福岡県出身の五郎丸は両親の影響で3歳からラグビーを始め、中学校まではサッカーと並行してプレー。佐賀工時代には3年連続で花園に出場し、その名を知られる存在となった。早大では1年からFBのレギュラーを獲得。在学中には3度の大学日本一を経験し、2年だった05年度の日本選手権ではTLのトヨタ自動車を破る下剋上に貢献した。卒業後の08年4月にヤマハ発動機に入団。W杯後の16年にはスーパーラグビーのレッズ(オーストラリア)、フランス1部リーグのトゥーロンでも1シーズンずつプレーした。

 日本代表では05年に初キャップを獲得も、その後は定着できずに07年、11年とW杯代表入りを逃した。しかし12年に代表ヘッドコーチに就任したエディー・ジョーンズ氏にその才能やリーダーシップを見出され、15番に定着。15年W杯ではリーチ・マイケル主将(東芝)を支える副将を務め、全4試合に先発フル出場を果たした。

 五郎丸の名を世に知らしめたもう一つの要因が、その独特なポーズとルーティンから放たれる正確無比なプレースキックだ。両手を顔の前で拝むように構えるポーズは「五郎丸ポーズ」として、15年の新語・流行語大賞の候補に挙がった。15年W杯では1次リーグ2位の58得点をマーク。日本代表テストマッチ通算711得点、トップリーグ通算1254得点はいずれも歴代1位となっている。

 近年では米大リーグ・ヤンキースのデレク・ジーター氏、プロ野球ロッテの福浦和也氏らが開幕前に引退を発表し、最後のシーズンを過ごした。真剣勝負を繰り広げながら、1シーズンを通じての“引退興行”となれば、チームやファンにとってもメリットは大きい。日本のラグビー界では異例中の異例だが、一時代を築いた五郎丸ならではの“歩み”で、最後のシーズンも全力でプレーする。

 ◆五郎丸 歩(ごろうまる・あゆむ)1986年(昭61)3月1日生まれ、福岡県出身の34歳。3歳でラグビーを始める。佐賀工、早大と進み、大学在学中の05年3月に日本代表に初選出され、同年4月16日のウルグアイ戦で初キャップを獲得。08年4月にトップリーグのヤマハ発動機入り。11~15年度に5季連続でベストフィフティーンに選出。11、12、15年度に得点王、11、12、17年度はベストキッカー賞を受賞した。15年W杯イングランド大会では大会ベストフィフティーンにも選出され、翌16年にはスーパーラグビーのレッズ(オーストラリア)、16~17年はフランス1部リーグのトゥーロンでプレーし、17年度にヤマハ発動機に復帰。日本代表通算57キャップ。1メートル85、100キロ。ポジションはフルバック(FB)。

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