「繊細さん」とは?
いろいろなできごとに敏感で、周囲の人びとに対して気を遣い、ちょっとしたことにも動揺しやすい「繊細」な人が、「HSP(ハイリー・センシティブ・パーソン)」と名付けられて、話題になっている。
テレビや新聞・雑誌で特集が組まれたり、書店でコーナーがあったり、皆さんの中にも、「繊細さん」やHSPという言葉をご存じの方も多いだろう。
心理学での専門的用語では「感覚処理感受性(Sensory Processing Sensitivity: SPS)」とも呼ばれていて、ある種の生まれつきの性質や気質を意味している、という。
脳が外部からの刺激に対して敏感で、身体的刺激だけではなく、対人関係や感情的なことについても、その意味を深く考えて情報処理をする特性と定義されている。
このように敏感である結果、些細なことでも気がつきすぎて、いろいろ頭の中でチェックするために行動がフリーズしたり、感情的にひどく動揺したり、対応する前に深く考え込んでしまう、という。
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外からきた刺激を深く(Deep)処理することが原因となって、刺激を受けやすく(Overstimulated)、感情的な反応が強く(Emotional)、人に共感しやすく(Empathy)、ちょっとしたことに敏感である(Sensitivity)という性質の頭文字DOESが特徴とされる。
あくまで、人間の気質や特徴の傾向の一つであって、5人に1人はHSPとされる。
また、その特性のためにストレスを溜めてうつ状態になることはあり得るが、「繊細」過ぎることは病気や障害とイコールではない。
1990年代に、心理学者エレイン・アーロンが提唱したことに始まる。
1996年にでた彼女の著書『ハイリー・センシティブ・パーソン』は世界的ベストセラーとなった(冨田香里訳『ささいなことにもすぐに「動揺」してしまうあなたへ。』SB文庫)。
内向型性格と繊細さん
人見知りだったり、内気で他人と関わるのが苦手だったり、ちょっとしたことに敏感な性質の人はもちろん、アーロン博士がHSPと名付ける前から存在した。
アーロン博士のHSP説の面白いところは、そういう「引っ込み思案」な人――内向型性格と呼ばれていたタイプ――とは、もともと内向的なのではなく、外からの感覚刺激に敏感な生まれつきの性質の結果として内向的になったとの仮説を提唱しているところだ。
ささいなことに敏感で、大きいリアクションをする人を、関西では「びっくりしい」というが、それが原因となって内向的になりやすいというのだ。
人間を大きく分ければ、内気な人と社交性の高い人がいることは常識的な知識だが、その原因が何かというところに一歩深めた仮説となっているわけだ。
もともと、人間の心の関心の向かう方向が内向きか外向きかに注目して、内向型と外向型にタイプ分けしたのが分析心理学の創始者C・G・ユングだった。
20世紀初めにユングが提唱して以来、このタイプ分けは多少変化しながらも使われ続けて、性格類型の心理学の中では、人間の性格を表現する5つの主要因子(ビッグ・ファイブ)――開放性、誠実性、外向性、協調性、神経症傾向――の一つとされている。
そして、内向的な人とは、思ったことがすぐ行動に表れるのではなく、抑制的な傾向が強いことが原因となって、反省して深く考え、行動が控えめになって、臆病で内気なのだ、と考えられてきた。
周囲に対する感覚が敏感すぎるために、入ってくる情報に感覚的にも感情的にも圧倒されてフリーズしてしまい、その結果として内向的になる、というアーロン博士の仮説は、行動抑制の過剰による内向性という通説への異論として、学問的にも面白い。
内向型から社会不安障害へ
ユングが提唱したときから、内向型と外向型という性格分類は、もともとは優劣があるのではなく、たんに性格の違いという意味で用いられていた。
だが、欧米とくに米国の文化では、社交性が高くて、自己主張や自己アピールも強く、活発で行動的な人、つまり外向型のほうが優れていると暗黙の内に見なされがちだった。
ただし、この点は文化差が大きく、日本など東アジアでは、内向型は控えめで慎重な人として高く評価されることもある。
内向型を低く見る、あるいは病的になり得る性質と見なす考え方が欧米で広がり始めたのが1980年代で、それが世界に拡大したのが1990年代後半だった。
きっかけとなったのは、1980年代に、米国精神医学会の精神疾患分類のなかで、「社会恐怖」や「社会不安障害」が正式の病名として認められたことだった。
これは、人前で失敗するかもしれない、恥をかくかもしれないと思うと不安になって、人前で何かをして注目されることを回避したり、外出できなくなったりする状態を病気と呼んだものだ。
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日本では昔から、「対人恐怖症」とか「赤面症」といわれていたものもそこに含まれる。
たしかに、重度の社会不安障害で引きこもってしまい、ちょっとした外出も恐怖のためにできない、というなら、本人も苦痛だろうし、「精神疾患」の一種と呼べるかも知れない。
だが、他人の注目に曝されることにストレスを感じて、緊張したり不安になったりすることは誰にもあることだろう。
当然のことながら、社会不安障害での正常と病気の境界線はあいまいだ。
そのあいまいさのために、精神医学のなかで、社会不安障害は内向型の性格と関連づけられ、内向型の極端な状態(パーソナリティ障害)とも同一視されるようになった。
つまり、社交嫌いだったり、孤独を好むこと、引っ込み思案なこと、内気なこと、などの性格は、社会不安障害(社会恐怖)と連続的な性質と考えられるようになったのだ。
「治療を必要とする深刻な種類の『内気』があるのではないだろうか? 確かにある。それが『社会恐怖だ』」(*1)というのは、この分野での第一人者である精神科医マレー・スタインの有名な言葉だ。
ここで治療というのは、薬物治療すなわち抗うつ剤の服用を意味している。
そして、1990年代後半には、抗うつ剤を生産している製薬企業をスポンサーとして、「社会不安障害」を啓発するためのキャンペーンが世界的に行われた。
メンタルヘルスの社会啓発のおかげで、あまり知られていなかった「社会不安障害」への認知度が高まり、治療を受ける人も増えたと言うこともできる。
と同時に、医療社会学的に見れば、病気を売り込むことで病人を生み出し、医薬品売り上げを増加させるマーケティング(「疾病喧伝」)が成功したと批判的に表現することもできる(*2)。
(*1)M. B.Stein(1996) “How shy is too shy” The Lancet 347:9009
(*2)クリストファー・レーン、寺西のぶ子訳(2009)『乱造される心の病』河出書房新社
脱医療化としての「繊細さん」
内向型を新しい視点から考え直して、内気で引っ込み思案であることの価値を肯定するHSPの考え方が1990年代後半に受け入れられていったのと同時に、こんな「内気さ」の医療化があったことを並べて見直してみよう。
内向型の性格の人が、精神疾患の予備軍と見なされ、場合によっては抗うつ剤を服用して「明るく」社交的になることを勧められるというのは、どこか気持ち悪い。
それに対して、自分をHSPと名乗ることは、自分自身の特性を受け入れて肯定し、内向型を医療化する社会不安障害との診断に対抗する生き方の技法ともなり得るだろう。
もう一つ、HSPの考え方が受け入れられやすかった理由の大きなポイントは、その人の性格分類でなく、外界の刺激に対する感覚情報処理の性質に過ぎないものとしているところだ。
それは、人間のタイプ分けする基準として、人間の個人としての人格全体の性質(内向型vs外向型)ではなく、そのパーツとしての感覚情報処理の違いに着目しているところに特徴がある。
これは人類学や現代思想で言う「分人主義」――人間を、一つの人格や心を持った分割不可能な「個人(individual)」とみるのではなく、周囲の人びとや環境との関係性からなる「分人(dividual)」の集合体や束のようなものと考える見方――の一つの表れとみることができる。
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社会不安障害や内向型パーソナリティに比べて、「ハイリー・センシティブ」や「感覚処理感受性(SPS)」のほうが軽やかな印象を与え、本人にも好まれるのはそのためだろう。
敏感さや繊細さは私の性質の一部(分人)であるが、それ以外にも私にはさまざまな性質や社会関係をもつ生き方(別の分人)もできる。
こうして思想的に見ると、「繊細さん」やHSPという考え方には現代的な新しさがあるようだ。
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